徒然なるままに

私の不器用な人生を見届けてください

千と千尋の神隠しを観て……

こんにちは。
お久しぶりです。


投稿が一か月ほど空いてしまいましたね。
この一か月何をしていたかというと、研究を行っていました。(ようやく研究室に行けるようになったので)
といっても大したことはまだできておらず、日々どれだけ研究が大変なのかを実感しております。

ま、近況報告はここまでにしてですね、今回の本題に入りますわね。

一昨日からジブリ作品が映画館で放映されるというビッグイベントが行われていて、早速自分も観に行ってきました。
複数のジブリ作品が放映されていましたが、僕は「千と千尋の神隠し」を観ました。
僕が最後に観たのは、おそらく小学生低学年。
当時は、ただただストーリーを楽しんでいただけなので、ファンタジー作品の一つととらえていたような気がします。
と同時にテーマや伝えたいことを自分の中で見つけることができないつかみどころのない作品という印象もありました。
ですがこの前観てきて、僕なりに「千と千尋」の良さが分かったし、それを共有したいと思ったのでここで文にして残しておきたいと思います。

ここで少しあらすじを追うと、
主人公の千尋が神の世界に迷い込んでしまい、そこでハク(これは神の世界での名前で、物語の終盤まで思い出すことができないんでしたね。)に助けられます。
そこから冒頭で豚にされてしまった両親を元に戻し、ともに自分の世界に帰るべく神の世界で奮闘するのですが、その中で千(千尋が神の世界の中で与えられた名前)とハクはお互いに支えあい、そしてついに物語の終盤でハクは自分の名前、そして昔千尋との間にあったことを思い出します。
自分は琥珀川と呼ばれる川の化身でニギハヤミコハクヌシという名前だったこと、千尋がその川でおぼれかけていたところを救ったということ。
二人が手を繋いで宙を舞うシーンはとてもいいですよね。
そして千尋は湯婆婆(神の世界の支配人みたいな感じでしたよね)からの試練(数匹の豚の中から自分の両親を言い当てる)を乗り越えて、無事両親と3人で本当の世界に戻ることができたのでした。
だいぶ端折りましたがこのような感じですよね。

そしてこの作品をみて強く感じたのは
「忘れてしまっても消えてなくなってしまうことはないから大丈夫だよ」
というメッセージです。

ハクが記憶を取り戻すシーン、そして銭婆婆(湯婆婆の姉でしたね)の言った
「一度あったことは忘れないものさ、思い出せないだけで」
という言葉、そしてあらすじでは紹介しなかった最後の最後のシーンを考えると先のメッセージが読み取れるんですよ。

最後の最後のシーンは千尋が神の世界から人間の世界に戻るところです。
そこで千尋は両親と再会するのですが、両親は記憶をなくしているのです。
ここで千尋はどうなのか。
作品中では、神の世界と人間の世界をつなぐトンネルをくぐった後、千尋はトンネルにどちらともとれるような表情を向けて、その場を去ってエンディングになります。
千尋の中に神の世界の記憶が残っているのか否かわからないまま終わっています。

ここで僕は、千尋は神の世界でのことを忘れてほしい、そう願うわけですね。
なぜなら、自分はこの作品から
「忘れてしまっても消えてなくなってしまうことはないから大丈夫だよ」
という言葉を受け取ったから。
千尋はこの後生きていく中で、ハクのことも神の世界で起こったことも思い出すことはないかもしれない。
けれども、何かのきっかけで全てを思い出すようなもの(ここで"思い出"と呼んでおきますか)、を作ったことは確かです。
神の世界で湯婆婆から名と記憶を奪われてもそれを取り戻したハク同様、千尋はハクとの"思い出"を思い出せる可能性を秘めて生きていく、そう考えるとなんだか最後千尋がトンネルを振り返るときの表情が明るくなって見えるようなそんな気がします。

僕らにも思い出せないけど、忘れてしまっていることって沢山ありますよね。
そしてその忘却は記憶を消す悲しいもの、そんな風に捉えられがちです。
でも、そんなことはない。
忘却は、”思い出”を作り、それを温められる可能性を僕らに与えてくれるものだと伝えているようなそんな気がしました。

千と千尋の神隠し」は以上に語ったようなこと以外のテーマも含んでいるとても奥深い作品だと思います。
そんな作品が映画館で観れるというまたとないチャンス、逃してはいけません。
そして、観た者同士でこの作品について語り合うのです。
”思い出”を作るために。