徒然なるままに

私の不器用な人生を見届けてください

夏目漱石著「こころ」を読んでみて PART1

普段あまり小説は読まないのですが、今回の夏休みは義務教育課程で一度は触れている作品を読んでみようと思い、それらの作品群の中でも特に気になっていた夏目漱石の「こころ」を読むことにしました。

物語は「私」が語り手となる『先生と私』という前半部分と、「私」に宛てて書いた手紙を「先生」が告白する『先生と遺書』という後半部分とに大きく分かれます。

冒頭は「私」が「先生」と出会う場面から始まります。「私」は「先生」の周りとは違う超然とした雰囲気に惹かれて「先生」に近づき、しばしば家に通うようになるほど懇意になります。早速断っておきたいのは「私」と「先生」はともに男性であり、同性愛という観点も無きにしも非ずなのですが、2人の間に恋愛感情はない可能性が高いということです。少なくとも小説中の「私」の言葉*1を見る限り、純粋に何か大切なことを教えてくれそうな人であると直感してただただ人間的に惹かれていたものだと思われます。

懇意になってすぐ「私」は「先生」が定期的にお墓参りに行くことを知り、その理由を「先生」に問いますが、なかなか打ち明けてくれません。
ただ、墓参りのことについて問うたときの「先生」の曇った表情、強い語気で口にした「恋は罪悪である」、「人間はいざというときに急に悪人に変わる」という言葉を印象づけて物語は進んでいきます。

「私」は「先生」の家にしばしば通っていたくらいですから先生の「奥さん」とも親交を深めていくことになります。更には「奥さん」と「先生」の2人の会話の中に入ることもありました。その中で「私」は一見幸せそうに見える2人の間に存在する違和感やわだかまりのようなものを感じます。「奥さん」もまた「先生」に対してそうした違和感をもっていたのでした。「奥さん」によると「先生」の性質が昔とは大きく変わってしまい、その理由を問うてもまともに取り合ってくれないため真実を隠されているような気がしてならないとのことだったのです。「奥さん」はこのことを長年の間苦に思っており、話を「私」に打ち明けているその時ばかりは助けを求めたのでしょう、「先生」がどんな理由で変わってしまったのか「私」にも意見を請うと同時に、重要な事実を口にするのでした。それは「先生」は大学時代に友人を亡くしそこから大きく変わってしまったということです。

後日「先生」に会い、過去について詳しく語って欲しいと懇願します。すると適当な時期が来たら話すとだけ伝えられてその場はそれきりで終わってしまいます。その後「私」の父親が重い病気を患って実家に赴くこととなり、一旦「先生」とは距離をとらざるを得ないことになるのです。

暫くして「私」は「先生」から一通の長い手紙を受け取ります。その当時父は最期の時をまさに迎えようとしており、その長い手紙を初めからゆっくりと読める状況ではありませんでした。父の死の恐怖をひしひしと感じながら、無意味に「先生」からの手紙を1ページ1ページはぐっていきます。すべてのページを開け終わり、またそれをもとの通りにたたんで机の上に置こうとしたその時、この一句が「私」の目に入るのです。
『この手紙があなたの手に落ちるころには、私はもうこの世には居ないでしょう。』
ここで、前半部分の『先生と私』は終わります。

一回の投稿で全内容のあらすじと読み終わった後の感想とか書いてみようと思ったんですけど、普段文章を全く書かないせいかとても疲れてしまったので今回はこれで。。。

余談ですが。。。
今回の投稿を書き出す前とある程度書き出した今とでは「こころ」が全く違うものになっています。書き出す前は強い意気込みを持っていたのにもかかわらず今やもう面倒くさいと思ってしまっているのですから。。そう、こころはとても不安定で動きが読めない。そんなこころの動きを細かく描き出している作品が「こころ」ともいえるような感じが僕にはします。

 

 

 

 

*1:「私には学校の講義よりも先生の談話の方が有益なのであった。教授の意見よりも先生の思想の方がありがたいのであった。とどのつまりをいえば、教壇に立って私を指導してくれる偉い人々より只独りを守って多くを語らない先生の方が偉く見えたのであった。」