徒然なるままに

私の不器用な人生を見届けてください

おばあちゃんが大好き。

こんばんは。お久しぶりです。
最近食欲が爆発していて困っています。メンボーです。


先日、わざわざ故郷である新潟から僕の住む筑波まできて、元気な姿を見せてくれました。それに筑波にきてどこか観光するわけでもなく、買い物一緒にしてくれたり、普段自分一人でいけないようなお店にご飯に連れて行ってもらったり、部屋の掃除・片づけをしてくれたり、とただただ僕のために時間を費やしてくれました。なんかわからないけど、これを書いている今でも思い出して少しうるっときます。ありがとうおばあちゃん。。そしておばあちゃんが新潟に帰った後、今年の夏におばあちゃんから初めて聞いた話をふと思い出しました。今日はその話をしようと思います。

 

夏休み、僕の高校時代からの親友がおばあちゃんに会いたいからと家に来ました。
僕とその親友とおばあちゃんの3人でリビングでお茶しながら喋っていました。
(まずこの状況が結構特異なのかもしれないけれど、その親友もとってもおばあちゃん好きで、高校時代から僕の家に来る度におばあちゃんと長話していました。このこともあって大学3年になった今でも長期休暇に一度は僕の家に来ておばあちゃんとお茶会をするようになったのです。。)
そこでおばあちゃんから初めて聞いたのがこんな話です。


自分が小学生2年生になったばかりの頃、学校で一年間の目標を書いて先生に提出するなんてことがありました。その目標が『喧嘩をしないこと』だったそうです。その当時喧嘩なんてしたことなかったし、それどころかクラスでNo.1を争うくらいのムードメーカーだった(自分で言うの恥ずかしい。。)自分が書くはずのない目標を書いたことに対して先生は心配して、保護者面談のときにおばあちゃんに
「○○君が一年間の目標に『喧嘩をしないこと』と書いてあったのですが、何かありましたか?」
と尋ねたとのこと。その時におばあちゃんは僕がなぜこんな目標を立てたのか気づいたのだそうです。それはきっと両親の離婚のことが原因だったのだと。今思い返せば、その当時家では両親が口論していることがしょっちゅうで、家の物が飛ぶかうくらい激しく喧嘩することもありました。そんな様子をみて当時小学2年生の僕は反面教師にしようと、『喧嘩をしない』ことを目標として掲げたのだと思います。僕の書いた目標の裏側にあった僕の気持ちを汲み取ってくれたおばあちゃんはそこで
「孫にみじめな思いをさせない。」
と心に強く誓ったそうです。そしてその気持ちを忘れずに今までやってきたと言いました。


この話を聞いてまず最初に思ったのは、いや感じたのは、愛ですね。やっぱり言葉にすると陳腐になってしまうのでここらで止めておきますが、とにかく胸がいっぱいになりました。あとは、やっぱり僕のおばあちゃんはすごい人だなぁと思いました。あの時誓ったことを今までずっと心に持ち続け、家族とは言っても他人の僕や妹を常に想って行動しているのですから。。これまでおばあちゃんと一緒にいて、みじめな思いをしたことなど一瞬たりともありません。これをおばあちゃんに直接言えたらいいんですけどね中々そうはいきません。ある人に伝えたいことっていうのはそのある人を目の前にすると頭の隅っこに隠れてしまうのが僕の場合は常ですから。。でもそんなことを言って感謝の気持ちを伝えられないのも後悔するでしょう。考えたくはないけれど、おばあちゃんだってもう後期高齢者になったのだからあまり時間はありません。とりあえず今できることとしては、長期休暇は実家に帰って元気な姿を見せる・たまに電話をかける、そしてきちんと勉学に勤しむこと、ですかね。おばあちゃんは時々僕にこういいます。
「○○がきちんと社会に出るまで安心してあの世に行けない。」
と。だから、学生である今しっかり勉強して、ちゃんと就職する姿を見てもらうことが当面の目標でもあり、おばあちゃんに感謝を伝える術でもあると思っています。この想いが実は日々の原動力になってます。

 

次に会えるのは年末です。またおばあちゃんに会える日を首を長くして待ちながら、日々を一生懸命生きるのです。。。それでは。