徒然なるままに

私の不器用な人生を見届けてください

夏目漱石著「こころ」を読んでみて。。 PART4 (FINAL)

こんばんは。
夏休みが終わり、秋学期が始まりました。だるいです。メンボーです。

 

前回の予告どうり、「こころ」を読んだ感想をここで書きたいと思います。
最初に少し断っておきたいことが。。
文学は芸術であって受け取り手の感じ方は自由であると自分自身思っています。しかし、これだけ有名で教科書に載っているくらいですから多少なりとも一般的に正しい読み方が存在していると思うのも確かです。なんせ人生の中で読んだ小説など5本指の中に入るほどしかなく、読解力に乏しい僕の読み方がそういった一般的に正しい読み方とは外れてしまっている可能性は大いにあります。そうだったとしたら申し訳ありません。


まず読んでいて率直に感じたのは、共感できるような文章が多いということです。更にその表現が正確かつ精密であり、また美しいということです。
文章というものは情報量を増やし具体的に書こうとすると美しさが損なわれ、また逆に美しさを求めて抽象度を上げると精密さが失われてしまうものだと思っています。しかし、そのどちらも獲得している文章ばかりで本当に驚きました。以下で自分が気に入った・印象に残った文を紹介したいと思います。

 

終始接触して親しくなり過ぎた男女の間には、恋に必要な刺激の起こる清新な感じが失われてしまうように考えています。香を嗅ぎえるのは、香を焚き出した瞬間に限る如く、酒を味わうのは、酒を飲み始めた刹那にある如く、恋の衝動にもこういうきわどい一点が、時間の上に存在しているとしか思われないのです。

 

酒に魂を浸して、己を忘れようと試みた時期もあります。私は酒が好きだとは言いません。けれども飲めば飲める質でしたから、ただ量を頼みに心を盛りつぶそうと力めたのです。この浅薄な方便はしばらくするうちに私を猶厭世的にしました。私は爛酔の真っ最中にふと自分の位置に気が付くのです。自分はわざとこんな真似をして己を偽っている愚物だということに気が付くのです。すると身震いとともに眼も心も醒めてしまいます。時にはいくら飲んでもこうした仮装状態さえ入り込めないで無暗に沈んでいく場合もでてきます。その上技巧で愉快を買った後には、きっと沈鬱な反動があるのです。

あぁ~。。。いいっすねぇ~。。。(語彙力


次は文章表現に関してではなく、文章の内容に関して述べたいと思います。
読んだことのある人はおそらく分かると思いますが、この小説は終始とてもシリアスで終わりも決して後味がいいものではありません。「K」も「先生」も孤独の果てに死んでしまうのですから。しかし、こうして強い孤独を味わって生きていく人物の物語をなぞることは、現代に生きる孤独な人間を更に孤独にしないようにしてくれると僕は思います。人は悩みや不安を持った時、それと同じ悩みや不安を持つ自分以外の他人が近くにいてくれるだけで心強いものです。夏目漱石は現在をいきる我々が強い孤独を味わうであろうと想像し、それによって苦しむ我々を1人にしないようにこの「こころ」を書いたのかもしれません。事実この小説を読んだ自分は共感できる部分が多々あり、『あ~やっぱりこうやって考える人もいるんだ。俺だけじゃないんだ。』って思うことができました。
それかはたまた夏目漱石自身が強い孤独感を感じており、それをこの「こころ」にしたためて世に出すことで孤独感を共有したかった、もしくは「先生」が「私」に手紙を書いたように漱石自身が考えたことが多少なりとも他の人の人生の糧になれば幸いであるとの思いで書いたのかもしれません。。


他にも思ったこと・考えたことはあるのですがとても長くなりますし、言語化することも難しいのでこの辺で終わりにしたいと思います。(ただの怠慢)
「こころ」に関しての記事を4回にわたって書いてまいりましたが、いかがだったでしょうか。記事の中であらすじは書いたのですが、やはりあらすじだけでは伝わりきらないところもありますし、実際読んでどう感じるのかもその本人次第なので興味を持った人は是非一度読んでほしいと思います。
ではまた。


P.S. 書評になっているのかはわかりませんが、書評というものをしたのはこれが初めてで結構戸惑った部分もありました。それに加えて多くの人に伝えることを目的とした比較的長めの文章を書くという経験もあまりなかったので、文章を書くうえでの大前提となる国語力の部分で躓くこともありました。記事の中で分かりずらい・あるいはおかしい文章が少なからず存在すると思います。(なるべくないように心がけた積りですが。)
そうした場合は申し訳ありません。。